体験者からのメッセージ

私は、2015年よりNPO法人子どもとアーティストの出会いに関わるようになり、そこで初めて担当した事業が「京都洛北 まちくさみっけ」でした。以前は、ダンスや演劇、音楽といったパフォーマンス系のアーティストとのワークショップを行ってきたので、重本さんのような美術作家とのワークショップは新鮮でした。
「まちくさ」は、ワークショップという形にしなくても、どこでも、だれでも、1人で行うことができます。しかし、あえて「まちくさ」をワークショップとして行っていることに、重本さんらしさがあるような気がしています。
たとえば、導入部分では、子どもたちが元来持っている感性を揺り起こすため、「名付けゲーム」を行っています。1枚の「まちくさ」の写真をみて、その写真に名前をつけていき、1番多く名付けられたチームが勝ちというゲームです。
また、出来上がった「まちくさ」の発表では、いつもは目立たない子どもが壮大な物語をつくっていたり、変わった視点で撮影していたりすることがあり、私たち大人を驚かせます。それは、子どもたちにとっても大きな発見のようで、友達の作品を見て、「へ〜!」とか「すごい!」とおもわず言っているのです。私はこうした友だちの新しい一面を発見する瞬間をたくさんつくりたくて、この時間を大切につくろうと心がけています。
このように、「まちくさ」は大人数で行うことで、自分のなかにある感性を呼び覚ますことができ、相互理解にもつながっていきます。特に、今を生きる子どもたちは、「まちくさ」を通して本当にかけがえのないものを見出しているように思います。
「センス・オブ・ワンダー」は「美しいものに目をみはる感性」といわれています。子どもの「センス・オブ・ワンダー」を育てるには、大人が寄り添っていないといけない、とレイチェル・カーソンはいいます。「まちくさ」に向き合うとき、大人も子どもも関係なく、互いが自然と寄り添っているように思います。

川那辺香乃(プログラムディレクター)

「まちくさ」という名前が良い。ひらがなの字面と「道草」にも通じる語感とが相まって、関わる人をホッとさせる風情がある。
しかし「まちくさ」はその和みの中に、都市と人の生を抉るエッジィさを隠している。土とアスファルトの間、ビルとビルのすき間に根づきながら自生する「まちくさ」たち。彼彼女らをみつけ、名づけ、物語に思いをはせるとき。私たちは「まちくさ」に自らの似姿をみる。集まりながら隣近所の人たちの顔も知らず、時に自分自身すら見失ってしまうかに思われる都市の生活において「まちくさ」とは、自分たち自身を快復させ、それらをつなげて、都市に〈もう一つの〉生態系をつくりだす。そんなひそやかな革命ともいえる行為なのだ…と、思う。

奥脇嵩大(青森県立美術館 学芸員)
投稿されたまちくさを紹介