体験者からのメッセージ

まちくさを眼差す目、それは人を大切に眼差す目に通じる。
「この人にこんな感性が..!」
まちくさワークショップの時間は、その人がどんな自分でもいいと許され、認められる時間。
かつて重本さんは自分の中の違和感や疑問と丁寧に向き合うことで『まちくさ』と出逢った。見過ごしそうな小さな存在にあえて着目し、その魅力—個別性・普遍性・異次元性・遊び心・変貌自在さの虜になった。
実は、まちくさとは重本さんその人とも言える。まちくさを介し現れる視点や思想の自由さ。どんな存在にも見出す意味や価値。
『まちくさ博士』と話すだけで会話が弾む。名づけるだけで、何でもない風景が記憶に残る風景に変わる。まちくさという何者かと向き合うことで、なぜか昔の小さな自分—未知な世界にわくわくしていた自分を思い出す。軽々と次元を超え、様々な枠組みを取っ払っていける、そんな魔法のような力がまちくさにはある。視点の大旅行だ。
草花が種を飛ばし遠くで花開くように、まちくさは今、日本の至る所で関わる人を魅了し続けている。世界の「MACHIKUSA」になる日もそう遠くはないかもしれない。
さあ、あなたもまちくさという旅に出かけてみよう。
重本さんという白衣の「水先案内人」と共に。

白水育世(京都市まちづくりアドバイザー、ライター)

「まちくさ」という名前が良い。ひらがなの字面と「道草」にも通じる語感とが相まって、関わる人をホッとさせる風情がある。
しかし「まちくさ」はその和みの中に、都市と人の生を抉るエッジィさを隠している。土とアスファルトの間、ビルとビルのすき間に根づきながら自生する「まちくさ」たち。彼彼女らをみつけ、名づけ、物語に思いをはせるとき。私たちは「まちくさ」に自らの似姿をみる。集まりながら隣近所の人たちの顔も知らず、時に自分自身すら見失ってしまうかに思われる都市の生活において「まちくさ」とは、自分たち自身を快復させ、それらをつなげて、都市に〈もう一つの〉生態系をつくりだす。そんなひそやかな革命ともいえる行為なのだ…と、思う。

奥脇嵩大(青森県立美術館 学芸員)