まちくさを体験した方々からいただいた熱いメッセージをご紹介します。
各方面の専門分野のプロが考察する「まちくさとは何たるか」が語られています。
滋野浩毅
(京都産業大学現代社会学部 教授)
数年前、京都大原学院で小学生を対象にした「まちくさワークショップ」を見学したのが「まちくさ」との出会いでした。道端に生えている草に自由に名前をつける、それだけのことなのですが、子どもたちの自由な感性に感心しました。
その後、大学の授業で学生たちとともに、まちくさ博士からお話を伺う中で、普段当たり前すぎて気にも留めないものに目を向けることで得られる“発見”の面白さについて再認識できました。
その後、大学の授業で学生たちとともに、まちくさ博士からお話を伺う中で、普段当たり前すぎて気にも留めないものに目を向けることで得られる“発見”の面白さについて再認識できました。
滋野浩毅
(京都産業大学現代社会学部 教授)
奥脇嵩大
(青森県立美術館 学芸員)
「まちくさ」という名前が良い。ひらがなの字面と「道草」にも通じる語感とが相まって、関わる人をホッとさせる風情がある。
しかし「まちくさ」はその和みの中に、都市と人の生を抉るエッジィさを隠している。土とアスファルトの間、ビルとビルのすき間に根づきながら自生する「まちくさ」たち。彼彼女らをみつけ、名づけ、物語に思いをはせるとき。私たちは「まちくさ」に自らの似姿をみる。集まりながら隣近所の人たちの顔も知らず、時に自分自身すら見失ってしまうかに思われる都市の生活において「まちくさ」とは、自分たち自身を快復させ、それらをつなげて、都市に〈もう一つの〉生態系をつくりだす。そんなひそやかな革命ともいえる行為なのだ…と、思う。
しかし「まちくさ」はその和みの中に、都市と人の生を抉るエッジィさを隠している。土とアスファルトの間、ビルとビルのすき間に根づきながら自生する「まちくさ」たち。彼彼女らをみつけ、名づけ、物語に思いをはせるとき。私たちは「まちくさ」に自らの似姿をみる。集まりながら隣近所の人たちの顔も知らず、時に自分自身すら見失ってしまうかに思われる都市の生活において「まちくさ」とは、自分たち自身を快復させ、それらをつなげて、都市に〈もう一つの〉生態系をつくりだす。そんなひそやかな革命ともいえる行為なのだ…と、思う。
奥脇嵩大
(青森県立美術館 学芸員)
中崎宣弘
(空間構想デザイナー、絵師)
「まちくさ」に参加し、何やら幸せ〜な気分になったことは今でもよく覚えている。あれは何だったのだろう?目の前にはいつもの街の雑踏が広がっているだけ。海や山や森といった特別な光景が広がっているわけではない。自転車が無造作に並んでいたり、錆びた鉄柵が続いていたり。
ところが「まちくさ」という、まるで呪文のようなフレーズと課題を口の中でブツブツ唱えながらよおく目を凝らしてゆくと、・・あら不思議、目の前に次第に鬱蒼としたジャングルや、遠くに竜巻が移動する広大な草原まで浮かび上がってくるではないか?
おやおや、これはなんとしたことか!まるで詩人になったような自分が嬉しくて、夢中になってそれを書き留める。フン、フン〜とちょっと有名写真家になった気分すらする。
そしてこのあと、「どうだあ」と自分だけの世界を発表する時のあの高揚感にも似た気分・・これら全てが、創作者の幸せであり、それへの旅の道筋は重本くんという、まさに「まちくさ博士」であり冒険家が、この現代の小さな街角の中に見つけた偉大な発見なのである。
ところが「まちくさ」という、まるで呪文のようなフレーズと課題を口の中でブツブツ唱えながらよおく目を凝らしてゆくと、・・あら不思議、目の前に次第に鬱蒼としたジャングルや、遠くに竜巻が移動する広大な草原まで浮かび上がってくるではないか?
おやおや、これはなんとしたことか!まるで詩人になったような自分が嬉しくて、夢中になってそれを書き留める。フン、フン〜とちょっと有名写真家になった気分すらする。
そしてこのあと、「どうだあ」と自分だけの世界を発表する時のあの高揚感にも似た気分・・これら全てが、創作者の幸せであり、それへの旅の道筋は重本くんという、まさに「まちくさ博士」であり冒険家が、この現代の小さな街角の中に見つけた偉大な発見なのである。
中崎宣弘
(空間構想デザイナー、絵師)
稲垣栄洋
(植物学者、静岡大学教授)
私は雑草の生態を研究している。雑草と呼ばれる植物に、重本さんは「まちくさ」という素敵な名前をつけてくれた。街中に雑草はないと思うかも知れないが、意外なところに小さな花を咲かせている。ただ私たちは忙しすぎて、気が付かないだけなのだ。まちくさの魔法にかかると、わずかな距離を歩くのに何十分も掛かる。宝物は、どこか遠くにあるのではなく私たちの足元にある。このワークショップは、そう語りかけてくれるようだ。
稲垣栄洋
(植物学者、静岡大学教授)
高嶋加代子
(NPO法人遊プロジェクト京都 理事長)
身近な草花に目を向け、それにより、住んでいるまちへの愛着を持つという「まちくさ博士」の重本さんの活動は、とても個性的です。子どもたちに「まちくさ」の面白さを伝えるワークショップでは、普段何気なく歩いている道や公園を新たな視点で眺めて「まちくさ」を発見し、自然に目を向けるきっかけづくりになっています。様々な団体との連携が生まれ、すでに全国へとその活動は広がっています。
高嶋加代子
(NPO法人遊プロジェクト京都 理事長)
川那辺香乃
(プログラムディレクター)
私は、2015年よりNPO法人子どもとアーティストの出会いに関わるようになり、そこで初めて担当した事業が「京都洛北 まちくさみっけ」でした。以前は、ダンスや演劇、音楽といったパフォーマンス系のアーティストとのワークショップを行ってきたので、重本さんのような美術作家とのワークショップは新鮮でした。
「まちくさ」は、ワークショップという形にしなくても、どこでも、だれでも、1人で行うことができます。しかし、あえて「まちくさ」をワークショップとして行っていることに、重本さんらしさがあるような気がしています。
たとえば、導入部分では、子どもたちが元来持っている感性を揺り起こすため、「名付けゲーム」を行っています。1枚の「まちくさ」の写真をみて、その写真に名前をつけていき、1番多く名付けられたチームが勝ちというゲームです。
また、出来上がった「まちくさ」の発表では、いつもは目立たない子どもが壮大な物語をつくっていたり、変わった視点で撮影していたりすることがあり、私たち大人を驚かせます。それは、子どもたちにとっても大きな発見のようで、友達の作品を見て、「へ〜!」とか「すごい!」とおもわず言っているのです。私はこうした友だちの新しい一面を発見する瞬間をたくさんつくりたくて、この時間を大切につくろうと心がけています。
このように、「まちくさ」は大人数で行うことで、自分のなかにある感性を呼び覚ますことができ、相互理解にもつながっていきます。特に、今を生きる子どもたちは、「まちくさ」を通して本当にかけがえのないものを見出しているように思います。
「センス・オブ・ワンダー」は「美しいものに目をみはる感性」といわれています。子どもの「センス・オブ・ワンダー」を育てるには、大人が寄り添っていないといけない、とレイチェル・カーソンはいいます。「まちくさ」に向き合うとき、大人も子どもも関係なく、互いが自然と寄り添っているように思います。
「まちくさ」は、ワークショップという形にしなくても、どこでも、だれでも、1人で行うことができます。しかし、あえて「まちくさ」をワークショップとして行っていることに、重本さんらしさがあるような気がしています。
たとえば、導入部分では、子どもたちが元来持っている感性を揺り起こすため、「名付けゲーム」を行っています。1枚の「まちくさ」の写真をみて、その写真に名前をつけていき、1番多く名付けられたチームが勝ちというゲームです。
また、出来上がった「まちくさ」の発表では、いつもは目立たない子どもが壮大な物語をつくっていたり、変わった視点で撮影していたりすることがあり、私たち大人を驚かせます。それは、子どもたちにとっても大きな発見のようで、友達の作品を見て、「へ〜!」とか「すごい!」とおもわず言っているのです。私はこうした友だちの新しい一面を発見する瞬間をたくさんつくりたくて、この時間を大切につくろうと心がけています。
このように、「まちくさ」は大人数で行うことで、自分のなかにある感性を呼び覚ますことができ、相互理解にもつながっていきます。特に、今を生きる子どもたちは、「まちくさ」を通して本当にかけがえのないものを見出しているように思います。
「センス・オブ・ワンダー」は「美しいものに目をみはる感性」といわれています。子どもの「センス・オブ・ワンダー」を育てるには、大人が寄り添っていないといけない、とレイチェル・カーソンはいいます。「まちくさ」に向き合うとき、大人も子どもも関係なく、互いが自然と寄り添っているように思います。
川那辺香乃
(プログラムディレクター)
白水育世
(京都市まちづくりアドバイザー、ライター)
まちくさを眼差す目、それは人を大切に眼差す目に通じる。
「この人にこんな感性が..!」
まちくさワークショップの時間は、その人がどんな自分でもいいと許され、認められる時間。
かつて重本さんは自分の中の違和感や疑問と丁寧に向き合うことで『まちくさ』と出逢った。見過ごしそうな小さな存在にあえて着目し、その魅力—個別性・普遍性・異次元性・遊び心・変貌自在さの虜になった。
実は、まちくさとは重本さんその人とも言える。まちくさを介し現れる視点や思想の自由さ。どんな存在にも見出す意味や価値。
『まちくさ博士』と話すだけで会話が弾む。名づけるだけで、何でもない風景が記憶に残る風景に変わる。まちくさという何者かと向き合うことで、なぜか昔の小さな自分—未知な世界にわくわくしていた自分を思い出す。軽々と次元を超え、様々な枠組みを取っ払っていける、そんな魔法のような力がまちくさにはある。視点の大旅行だ。
草花が種を飛ばし遠くで花開くように、まちくさは今、日本の至る所で関わる人を魅了し続けている。世界の「MACHIKUSA」になる日もそう遠くはないかもしれない。
さあ、あなたもまちくさという旅に出かけてみよう。
重本さんという白衣の「水先案内人」と共に。
「この人にこんな感性が..!」
まちくさワークショップの時間は、その人がどんな自分でもいいと許され、認められる時間。
かつて重本さんは自分の中の違和感や疑問と丁寧に向き合うことで『まちくさ』と出逢った。見過ごしそうな小さな存在にあえて着目し、その魅力—個別性・普遍性・異次元性・遊び心・変貌自在さの虜になった。
実は、まちくさとは重本さんその人とも言える。まちくさを介し現れる視点や思想の自由さ。どんな存在にも見出す意味や価値。
『まちくさ博士』と話すだけで会話が弾む。名づけるだけで、何でもない風景が記憶に残る風景に変わる。まちくさという何者かと向き合うことで、なぜか昔の小さな自分—未知な世界にわくわくしていた自分を思い出す。軽々と次元を超え、様々な枠組みを取っ払っていける、そんな魔法のような力がまちくさにはある。視点の大旅行だ。
草花が種を飛ばし遠くで花開くように、まちくさは今、日本の至る所で関わる人を魅了し続けている。世界の「MACHIKUSA」になる日もそう遠くはないかもしれない。
さあ、あなたもまちくさという旅に出かけてみよう。
重本さんという白衣の「水先案内人」と共に。
白水育世
(京都市まちづくりアドバイザー、ライター)
井手上春香
(NPO法人 子どもとアーティストの出会い 理事長)
まちくさ博士とともに、企業や学校、NPOと「まちくさみっけ」に取り組んできた6年間で、「まちくさ」を中心にした人々の笑顔にたくさん出会いました。どのワークショップにおいても、自信をもって、時にはにかみながら、誰もがその魅力を語ります。そのたびに起こる、笑いやどよめき。「まちくさ」は、人と人、人と町とのつながりを生み出すことができる、最高の存在です。
井手上春香
(NPO法人 子どもとアーティストの出会い 理事長)
北村広美
(日本写真印刷株式会社 コーポレートコミュニケーション室 CSR部)
未来を担う子どもたちの成長を支援することは、持続可能な社会をつくる上で大変重要です。それはNISSHAが目指す《共生》そのものであり、まちくさみっけは、その思いをNPO・アーティスト・企業が一体となって具現化する継続した取り組みとなっています。子どもたちには、重本さんの小さな命を大切に思う心を受け継いでほしい。そして、それぞれの個性を尊重しながら、周囲の人たちとつながる豊かな心を持ってほしいと願っています。